- 4月27日
更新日:5月19日

2025年4月27日 日曜日
参加者:4名
ジェンダーロールを乗り越えようの会 第九回
「ジェンダー史からみる性別像」
第九回となる今回のジェンダーロール勉強会では、弓削尚子著『はじめての西洋ジェンダー史──家族史からグローバル・ヒストリーまで』の第三章「女らしさ・男らしさは歴史的変数―ジェンダー史」を読み、意見交換を行いました。
歴史「HISTORY=His story」の男性中心的レンズを外し、医学・発達心理・ジェンダー観が交差するテーマを手がかりに、私たちの身体と心を取り巻く当たり前を問い直しました。
女性の身体と医学
「つわりは耐えるもの?」
最初に取り上げられたのは、妊娠初期に多くの女性が経験する「つわり」についてです。
つわりが「耐えるべきもの」とされてきた背景には、近代医学が長らく男性の身体を標準として構築されてきたという歴史的経緯があります。女性特有の症状や苦痛が軽視され、研究・技術開発の優先度が低く置かれてきたのではないかという指摘がなされました。
また、つわりの重症度が「母体の体質」に帰されがちである一方で、精子という異質タンパクが関与しているという説により、パートナーとの組み合わせによって症状が異なる可能性もはなされました。このことは、「子どもができないのは女性の側に原因がある」とする見方とも通じる、性差に基づく責任の偏りを問い直す契機となりました。
「身体的性差と身体感覚」
次に、身体的性差と身体感覚に関する認識についての話題が展開されました。
「女の子はふわふわしていて柔らかい」といった社会的に植え付けられたイメージと、実際の身体感覚との乖離について、参加者はそれぞれの経験を共有しました。
さらに興味深かったのは、「匂い」にまつわる話題です。赤ちゃんの体臭、思春期の子どもの体臭、さらには性差による匂いの違いとその受け止め方など、参加者それぞれが感覚的な記憶を手がかりに語りました。また、匂いが社会的階層や権力関係を象徴するのではないか、という視点も示されました。たとえば、哺乳類の動物は「匂いが強い者が空間を支配する」「テリトリーを主張する」という観点から、匂いとジェンダー、社会構造との関係性について考えるきっかけとなりました。
女性向けデザインの再考
女性向けデザインとは何か」という問いを軸に、デザインにおける性差の捉え方や、消費されるイメージの形成過程について話しました。
「デザインの基準は誰の身体か?」
まず取り上げられたのは、プロダクトデザインが前提とする「標準の身体」についてです。
たとえば、多くの工業製品が「身長170cm程度の男性」を基準に設計されている現実があります。車の内装や操作性、さらには使用感そのものが、しばしばこの想定に基づいて構築されているのです。そのような設計に対して、小柄な女性が運転する際に感じる違和感や、身体的にフィットしない部分について対処されたデザインの車が極端な女性性を打ち出しているように感じるとの指摘がありました。
「女性向け」と銘打たれた車には、内装にパステルカラーや丸みを帯びた形状が採用され、軽い操作性が強調される傾向があります。「操作性の軽さ」は身体的男女差を反映しているものだとしても、色合いや柔らかいフォルムを女性性と結びつけることには違和感を覚える、という意見も出され、デザインにおけるジェンダー表象が使用者の実感と必ずしも一致しないことが浮き彫りになりました。
「需要は誰がつくるのか?」
次に、プロダクトや色彩選択における「需要」が、本当に個人の嗜好から生まれているのか、それとも社会的に形成されたものであるのか、という問いが提示されました。
たとえば、子どもたちの持ち物や好みの色に関して、「女の子らしい色」とされるピンク系や、「男の子向け」とされる黒・紺などの傾向が依然として存在しています。しかし、ある子どもは「ランドセルの色はみんな違うから、何色が“女の子の色”なのか分からない」と答えたというエピソードが共有され、規範の揺らぎや変化の兆しが見られました。
また、人気アニメ『プリキュア』シリーズのカラー展開が、子どもたちの色の選好に影響を与えている可能性にも言及されました。このように、個人の選択と思われている嗜好が、実はメディアやマーケティングを通じて形成されたものであることが示されました。
デザインにおける性差の強調は、近代において意識的に強化されたものであるという歴史的な観点も紹介されました。特に19世紀には、素材、色、形状において男女の差異を明確に打ち出す傾向が強まり、ジェンダーの役割分担が視覚的・物質的に再生産されていったことが指摘されました。
女性と男性の仲間意識
男女の仲間関係の築き方や、成長過程における関係性の変化について、それぞれの経験をもとに共有しました。
「子ども時代に形成される関係性:チャム期とギャングエイジ」
まず話題となったのは、いわゆる「チャム期」や「ギャングエイジ」と呼ばれる小学校中学年(3〜4年生頃)に見られる特有の仲間関係です。
参加者の体験をもとに、「女性と男性では仲間意識の構築に違いがあるのではないか」という仮説も検討されました。
女の子たちは、2人だけの秘密を共有したり、同じ筆箱や髪型を真似し合ったりしながら、強い連帯感を築く傾向があるように感じる参加者もいました。こうした関係は「チャム的」なものとして知られ、同じグループに属すること自体が一種のアイデンティティ形成に寄与していると考えられています。女性同士の関係性は、時に強い忠誠心によって結ばれているように感じる参加者もいました。
対照的に、男性の関係性は、目的に応じて関係を結び直すことが比較的容易で、状況や目標の変化に応じてグルーピングを切り替える傾向があるという意見も出されました。こうした傾向が、大人になってからの人間関係にも影響を及ぼしている可能性もあるのではないかと話しました。
一方で、こうしたチャム関係を持たず、特定のグループに属することのない子どももおり、「仲間意識」の構築方法そのものに多様性があることも共有されました。真似し合いながら距離を縮めるという行動パターンや、集団のなかでのふるまいは、必ずしも全ての子どもに共通するわけではありません。
最後に、「どこからがステレオタイプで、どこまでが一般化可能な傾向なのか」という問いも浮上しました。議論は個人の経験に基づくものであり、「あるある」と共感しながらも、それが普遍的に言えることなのかは慎重に見極める必要がありそうです。
女性は感情的、男性は理性的とは?
「女性は感情的で、男性は理性的」といった性別による性格づけは、私たちが無意識のうちに受け入れてきた価値観のひとつです。そうした二元的な見方に、私たちはどれほど影響されながら生きてきたのでしょう。
「ヒステリックな男性?」
感情と理性の性差についての考察が交わされました。例えば、共感力の高さや感情の受容性が「女性らしさ」として語られる一方で、目的を優先し、客観的に物事を判断する姿勢が「男性的」とされてきた経験が共有されました。感情を交えず冷静に物事を判断する姿は理性的であり、社会的には価値が高いとみなされやすい。しかし、感情を抑えられる女性もいれば、抑えられない男性もいます。感情を大切にすることは劣った性質なのでしょうか?
議論の中では、日常生活におけるさまざまな観察が共有されました。例えば、公共の場で舌打ちや怒声を発する中年男性の姿は、「感情的」とはあまり言われない。他方で、女性が怒りを表現すれば「ヒステリック」と呼ばれがちだ。「ヒステリー」という言葉の語源には「子宮」という意味が含まれており、それが女性のみに使われることに違和感を覚えるという声もありました。
「これからの男女二元論」
男女二元論の影響は、進学や就職、結婚、出産といったライフコースの選択にまで深く及んでいるようです。たとえば、女性が仕事を優先したり、世帯主として生きることに高いハードルを感じるという声もありました。
子育て中の参加者からは、学校という制度の中でもジェンダー的な期待が自然に形成されているという指摘もありました。子どもたちは、自分の好きなものや表現を抑え、「男子らしく」「女子らしく」振る舞うことを期待されているようです。結果として、自分でも気づかないうちに生きづらさを抱えているかもしれないという問題意識も共有されました。
「理性的/感情的」という性差の枠組みは、私たちの選択肢を無意識に狭めてきました。その枠組みは、自分自身の感情や価値観までも左右しているのかもしれません。今の子どもたちは、私たちとは違う感覚で世界を生きていますが、社会の構造自体は二元的な価値観の上に成り立っている部分がまだまだ多そうです。
記録:ダンシロウ
参考文献:
「はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで」
弓削尚子(ゆげ なおこ)著
第三章「女らしさ・男らしさは歴史的変数―ジェンダー史」
西洋のジェンダー史を各分野の歴史家たちの視点から学べる入門書。ジェンダーが歴史的にどのように構築されてきたのかを理解することで、ジェンダーの脱構築を考える手がかりとなる一冊です。