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2025年4月27日 日曜日

参加者:4名


ジェンダーロールを乗り越えようの会 第九回

ジェンダー史からみる性別像


第九回となる今回のジェンダーロール勉強会では、弓削尚子著『はじめての西洋ジェンダー史──家族史からグローバル・ヒストリーまで』の第三章「女らしさ・男らしさは歴史的変数―ジェンダー史」を読み、意見交換を行いました。


歴史「HISTORY=His story」の男性中心的レンズを外し、医学・発達心理・ジェンダー観が交差するテーマを手がかりに、私たちの身体と心を取り巻く当たり前を問い直しました。





女性の身体と医学


 「つわりは耐えるもの?」


最初に取り上げられたのは、妊娠初期に多くの女性が経験する「つわり」についてです。

つわりが「耐えるべきもの」とされてきた背景には、近代医学が長らく男性の身体を標準として構築されてきたという歴史的経緯があります。女性特有の症状や苦痛が軽視され、研究・技術開発の優先度が低く置かれてきたのではないかという指摘がなされました。

また、つわりの重症度が「母体の体質」に帰されがちである一方で、精子という異質タンパクが関与しているという説により、パートナーとの組み合わせによって症状が異なる可能性もはなされました。このことは、「子どもができないのは女性の側に原因がある」とする見方とも通じる、性差に基づく責任の偏りを問い直す契機となりました。


「身体的性差と身体感覚」


次に、身体的性差と身体感覚に関する認識についての話題が展開されました。

「女の子はふわふわしていて柔らかい」といった社会的に植え付けられたイメージと、実際の身体感覚との乖離について、参加者はそれぞれの経験を共有しました。

さらに興味深かったのは、「匂い」にまつわる話題です。赤ちゃんの体臭、思春期の子どもの体臭、さらには性差による匂いの違いとその受け止め方など、参加者それぞれが感覚的な記憶を手がかりに語りました。また、匂いが社会的階層や権力関係を象徴するのではないか、という視点も示されました。たとえば、哺乳類の動物は「匂いが強い者が空間を支配する」「テリトリーを主張する」という観点から、匂いとジェンダー、社会構造との関係性について考えるきっかけとなりました。




女性向けデザインの再考


女性向けデザインとは何か」という問いを軸に、デザインにおける性差の捉え方や、消費されるイメージの形成過程について話しました。


「デザインの基準は誰の身体か?」


まず取り上げられたのは、プロダクトデザインが前提とする「標準の身体」についてです。

たとえば、多くの工業製品が「身長170cm程度の男性」を基準に設計されている現実があります。車の内装や操作性、さらには使用感そのものが、しばしばこの想定に基づいて構築されているのです。そのような設計に対して、小柄な女性が運転する際に感じる違和感や、身体的にフィットしない部分について対処されたデザインの車が極端な女性性を打ち出しているように感じるとの指摘がありました。

「女性向け」と銘打たれた車には、内装にパステルカラーや丸みを帯びた形状が採用され、軽い操作性が強調される傾向があります。「操作性の軽さ」は身体的男女差を反映しているものだとしても、色合いや柔らかいフォルムを女性性と結びつけることには違和感を覚える、という意見も出され、デザインにおけるジェンダー表象が使用者の実感と必ずしも一致しないことが浮き彫りになりました。


「需要は誰がつくるのか?」


次に、プロダクトや色彩選択における「需要」が、本当に個人の嗜好から生まれているのか、それとも社会的に形成されたものであるのか、という問いが提示されました。

たとえば、子どもたちの持ち物や好みの色に関して、「女の子らしい色」とされるピンク系や、「男の子向け」とされる黒・紺などの傾向が依然として存在しています。しかし、ある子どもは「ランドセルの色はみんな違うから、何色が“女の子の色”なのか分からない」と答えたというエピソードが共有され、規範の揺らぎや変化の兆しが見られました。

また、人気アニメ『プリキュア』シリーズのカラー展開が、子どもたちの色の選好に影響を与えている可能性にも言及されました。このように、個人の選択と思われている嗜好が、実はメディアやマーケティングを通じて形成されたものであることが示されました。

デザインにおける性差の強調は、近代において意識的に強化されたものであるという歴史的な観点も紹介されました。特に19世紀には、素材、色、形状において男女の差異を明確に打ち出す傾向が強まり、ジェンダーの役割分担が視覚的・物質的に再生産されていったことが指摘されました。





女性と男性の仲間意識


男女の仲間関係の築き方や、成長過程における関係性の変化について、それぞれの経験をもとに共有しました。


 「子ども時代に形成される関係性:チャム期とギャングエイジ」


まず話題となったのは、いわゆる「チャム期」や「ギャングエイジ」と呼ばれる小学校中学年(3〜4年生頃)に見られる特有の仲間関係です。

参加者の体験をもとに、「女性と男性では仲間意識の構築に違いがあるのではないか」という仮説も検討されました。

女の子たちは、2人だけの秘密を共有したり、同じ筆箱や髪型を真似し合ったりしながら、強い連帯感を築く傾向があるように感じる参加者もいました。こうした関係は「チャム的」なものとして知られ、同じグループに属すること自体が一種のアイデンティティ形成に寄与していると考えられています。女性同士の関係性は、時に強い忠誠心によって結ばれているように感じる参加者もいました。

対照的に、男性の関係性は、目的に応じて関係を結び直すことが比較的容易で、状況や目標の変化に応じてグルーピングを切り替える傾向があるという意見も出されました。こうした傾向が、大人になってからの人間関係にも影響を及ぼしている可能性もあるのではないかと話しました。

一方で、こうしたチャム関係を持たず、特定のグループに属することのない子どももおり、「仲間意識」の構築方法そのものに多様性があることも共有されました。真似し合いながら距離を縮めるという行動パターンや、集団のなかでのふるまいは、必ずしも全ての子どもに共通するわけではありません。

最後に、「どこからがステレオタイプで、どこまでが一般化可能な傾向なのか」という問いも浮上しました。議論は個人の経験に基づくものであり、「あるある」と共感しながらも、それが普遍的に言えることなのかは慎重に見極める必要がありそうです。



女性は感情的、男性は理性的とは?


「女性は感情的で、男性は理性的」といった性別による性格づけは、私たちが無意識のうちに受け入れてきた価値観のひとつです。そうした二元的な見方に、私たちはどれほど影響されながら生きてきたのでしょう。


「ヒステリックな男性?」


感情と理性の性差についての考察が交わされました。例えば、共感力の高さや感情の受容性が「女性らしさ」として語られる一方で、目的を優先し、客観的に物事を判断する姿勢が「男性的」とされてきた経験が共有されました。感情を交えず冷静に物事を判断する姿は理性的であり、社会的には価値が高いとみなされやすい。しかし、感情を抑えられる女性もいれば、抑えられない男性もいます。感情を大切にすることは劣った性質なのでしょうか?

議論の中では、日常生活におけるさまざまな観察が共有されました。例えば、公共の場で舌打ちや怒声を発する中年男性の姿は、「感情的」とはあまり言われない。他方で、女性が怒りを表現すれば「ヒステリック」と呼ばれがちだ。「ヒステリー」という言葉の語源には「子宮」という意味が含まれており、それが女性のみに使われることに違和感を覚えるという声もありました。


「これからの男女二元論」


男女二元論の影響は、進学や就職、結婚、出産といったライフコースの選択にまで深く及んでいるようです。たとえば、女性が仕事を優先したり、世帯主として生きることに高いハードルを感じるという声もありました。

子育て中の参加者からは、学校という制度の中でもジェンダー的な期待が自然に形成されているという指摘もありました。子どもたちは、自分の好きなものや表現を抑え、「男子らしく」「女子らしく」振る舞うことを期待されているようです。結果として、自分でも気づかないうちに生きづらさを抱えているかもしれないという問題意識も共有されました。

「理性的/感情的」という性差の枠組みは、私たちの選択肢を無意識に狭めてきました。その枠組みは、自分自身の感情や価値観までも左右しているのかもしれません。今の子どもたちは、私たちとは違う感覚で世界を生きていますが、社会の構造自体は二元的な価値観の上に成り立っている部分がまだまだ多そうです。


記録:ダンシロウ



参考文献:


「はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで」
弓削尚子(ゆげ なおこ)著

第三章「女らしさ・男らしさは歴史的変数―ジェンダー史」


西洋のジェンダー史を各分野の歴史家たちの視点から学べる入門書。ジェンダーが歴史的にどのように構築されてきたのかを理解することで、ジェンダーの脱構築を考える手がかりとなる一冊です。



更新日:3月20日





2025年3月16日 日曜日

参加者:4名


ジェンダーロールを乗り越えようの会 第八回

「女性史からみる性別像」


第八回のジェンダーロール勉強会では、弓削尚子 著『はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで』 の第二章「女性の歴史が歴史学を変える―女性史」を読み意見交換を行いました。


今回は「女性史」を振り返る中で、歴史が男性の考える女性像に大きく影響されてきたことを知り、男性が思う「女らしさ」や「男らしさ」について考えさせられました。


目次

歴史の中の女性たち

 見過ごされてきた女性の声

 ジェンダー史と宗教の影響

 歴史記述の見直し

女性の働く環境

 プロダクトが語る女性の役割

 女性の職場での立場

 転勤制度がもたらす影響

良い女性像の呪縛

 ジェンダーロールと象徴的イメージ

 女性の昇進と決定権

妊婦の決断と服従

 分娩台と妊婦の快適さ

 帝王切開と意思確認の問題

 決断力と社会の期待

まとめ

参考文献


歴史の中の女性たち


歴史の中で女性の声や経験が見過ごされ、男性を基準にした言葉遣いで歴史が語られてきたことをどのように改めていけば良いのでしょうか。


「見過ごされてきた女性の声」


私たちが知る歴史は、これまで主に男性によって編集されてきました。そのため、記録に残された女性たちの姿は極めて少なく、たとえ記録されていても、それは男性の視点を通して選別されたものが多いのです。こうした歴史の偏りは、女性自身が持つ自己イメージにも影響を与えてきました。ある参加者は「歴史上の女性像から、『こういう女性が良い』と刷り込まれてきた感覚がある」と話しました。また、歴史の中に埋もれてしまった声を性別に関わらずどう拾い上げるべきかという問いも上がりました。


「ジェンダー史と宗教の影響」


ヨーロッパのジェンダー史を知っていく中で、生活に密接に関わるキリスト教の影響が見えてきます。例えば、見過ごされてきた女性の経験や生活を知る上で貴重な資料である日記は、17世紀の牧師の妻が書いたものでした。また、フランス革命期の啓蒙主義運動では、理性や知性が重視され、「男性は理性、女性は本能的な存在」とする考えが強まりました。聖書の解釈においても、イブがいちじくの葉で陰部を隠したことから「女性は貞操を守るべきだ」とされる一方、アダムも同じように隠していたにもかかわらず、男性に対して同じ解釈が適用されないことが今回議論されました。


「歴史記述の見直し」


歴史の教科書も女性史の発展に伴い変わってきています。例えば、「一般選挙権の獲得」という表現は、かつては男性のみを対象としていたことが明確に記されるようになり、「男性選挙権の獲得」と表記されるようになりました。「一般」や「普通」という言葉が無意識のうちに男性を指してしまう状況を変えるため、名称を見直すことは重要な一歩と言えるでしょう。



女性の働く環境


女性の歴史を語る際、日常生活に密接に関わるプロダクトが重要な資料となり、これらが女性の労働や役割を理解する手がかりを提供していました。


「プロダクトが語る女性の役割」


例えば、かつて裁縫箱が付属しているピアノがありました。これは、女性が家を守る存在とされ、裁縫仕事が女性の役割とされていたことを示しています。また、ミシンも女性史を語る上で興味深い対象です。それは単なる道具ではなく、女性の労働、家庭内での役割、さらには資本主義の発展と深く結びついていたそうです。こうした視点を掘り下げた本も読書会の中で紹介されました。


「女性の職場での立場」


また、職場における女性の立場についても議論がありました。歴史的に見ても、女性はオペレーション業務に従事することが多い傾向があります。戦争による労働力不足を補うために女性が男性と同じように働くようになりましたが、リーダーの大半は男性でした。仮に女性がリーダーになっても、それは女性労働者をまとめる「女性内でのリーダー」という側面が強かったのではないかという指摘もありました。


「転勤制度がもたらす影響」


現代の転勤制度についても意見が交わされました。夫の転勤が決まると、妻や子どもが振り回されるケースが多く、夫には仕事のコミュニティがあるものの、妻や子どもは新しい環境で孤立しがちです。なぜ転勤において女性パートナーが夫に合わせなければならないのか。こうした状況が、意図せず専業主婦化を助長し、女性のキャリア形成を妨げているのではないかという懸念が示されました。



良い女性像の呪縛


固定化された性別イメージが対等になれば、社会や家庭における決定権の所在や女性の社会進出に関する課題も変化していくのではないでしょうか。


「ジェンダーロールと象徴的イメージ」


歴史的に、女性は服従すべき存在とされ、男性によって選別された「良い女性像」が形成されてきました。「樫の木が男、蔦が女」という例えがあるように、これまでの社会では女性が男性に寄り添い支える存在とされてきました。しかし、男女の関係性が対等になれば、こうした価値観やイメージも解消されていくのではないかという意見も出ました。

ジェンダーロールについて考える際、「男性はウルトラマン、女性はシンデレラを抱えて生きている」と表現すると分かりやすいと指摘する参加者もいました。性別に紐づけられた象徴的なイメージの違いを例に挙げながら、性別に固定されたイメージに縛られず、自由に人間関係を築くことの難しさを確認しました。また、カントの「女性は美しい存在である」という言葉についても議論されました。この言葉には、裏を返せば「男性は美しくない存在である」というイメージが伴ってしまうのではないかという懸念が共有されました。


「女性の昇進と決定権」


また、女性の社会進出において、積極的に上を目指すことが難しい状況も指摘されました。ある参加者は、「女性のなかには上の地位につきたいのに、自分からは言わず、周囲の環境を整えることで、結果的に昇進する人がいる」と述べました。これは、決定権を男性が握る社会の中で、服従を装いながら自己実現を図る戦略なのではないかという意見がありました。男性は「出る杭は打たれる」というように飛び出す状況を作ってでも、自己実現を測るのではないかという意見もありました。性別による昇進戦略の違いを語る事は、ジェンダーのステレオタイプや偏見を助長する可能性があるとの懸念が示され、議論の難しさを感じました。一方で、家庭においては女性が決定権を持つケースも多いのではないかという意見もありました。決定権の男女差が縮まりつつある今、こうしたアプローチや社会的・家庭的な決定権の所在も変わっていくのかもしれません。



妊婦の決断と服従


出産や医療現場における決定権に関する議論は、性別に関わらず個人の意思や快適さを尊重し、医療の利便性と倫理的な配慮のバランスを考慮する必要があります。


「分娩台と産婦の快適さ」


分娩台の形は、医師が観察しやすいことを優先して設計されており、必ずしも妊婦の快適さを考慮したものではないと指摘されています。かつて産婦が自ら産む、又は助産師が分娩解除していた際は分娩椅子(イス型の分娩台)が用いられており、より自然な体勢で出産できたと言われています。近現代において、医療の利便性と妊婦の尊厳のどちらを優先すべきかという議論が交わされました。


「帝王切開と意思確認の問題」


出産時に緊急帝王切開が行われる際、妊婦の意思確認が十分に行えないことがあります。たとえ事前に緊急帝王切開に同意していたとしても、実際にその状況に直面すると産後うつのリスクが高まる可能性があるという問題が話し合われました。さらに、研修医が無断で出産に立ち会う事例も共有され、女性の身体の権利よりも「命を守るための教育」が優先されることへの違和感が指摘されました。一方で、男性の参加者の中にも医療現場での教育が優先された経験が共有され、これが男女共通の課題ではないかという意見もありました。

また、薬を処方される際、効能を説明し、患者に選択の余地を与える医師の姿勢が評価される一方で、延命治療のように自分が決定権をたとえ持っていたとしても自分で判断が難しい場面があるのではないかという意見も出ました。


「決断力と社会の期待」


決断に関する社会的な期待についても話題になりました。「男らしさ」の象徴として「決断力」が挙げられることがありますが、これは歴史的に男性が決定権を握る社会構造があったためではないかという意見が出ました。性別に関係なく、主体的に決断できる社会のあり方を考えさせられる議論となりました。例えば、飲食店でメニューを選ぶのが遅いと、決断力のなさが男らしさと結びつけられて指摘された経験が共有されました。一方で「とりあえずビール」という文化は、男社会ならではの振る舞いなのかもしれないとの意見もありましたが、これは性別に関係なくその場の効率を優先している事例として挙がりました。



まとめ


今回の読書会では、「女性史」を振り返ることで以下のことが見えてきました:


  1. 女性の働き方

    家庭内労働が中心だった女性は、戦争を機に社会進出しましたが、管理職は依然として男性中心でした。転勤によるキャリアの犠牲も女性に偏っています。また、裁縫箱付きのピアノなどのプロダクトが、女性の労働観にも影響を与えてきました。


  2. 男女に持たれているイメージ 

    歴史的に女性は「服従すべき存在」とされ、無意識に行動を制限することもありました。リーダーを望む女性も、主張を控えてしまう傾向がありそうでした。


  3. 決断と服従

    出産の場での決定権は誰にあるのか。社会的に「決断力=男性的」とされる風潮があり、性別に関係なく主体的に生きる力を育む必要がありそうです。


男性が女性の置かれた状況を想像する際、その過程で女性をステレオタイプ化してしまう危険性があると感じました。性別の違いをどのように適切に認識し、またどのように議論を進めればステレオタイプを避けられるのか、その難しさを実感しました。


記録:ダンシロウ



参考文献:


「はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで」
弓削尚子(ゆげ なおこ)著

第二章 「女性の歴史が歴史学を変える―女性史」


西洋のジェンダー史を各分野の歴史家たちの視点から学べる入門書。ジェンダーが歴史的にどのように構築されてきたのかを理解することで、ジェンダーの脱構築を考える手がかりとなる一冊です。






2025年2月16日 日曜日

参加者:5名


ジェンダーロールを乗り越えようの会 第七回

「家族史から探る未来の家族像」


 第七回のジェンダーロール勉強会では、弓削尚子 著『はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで』 の第一章「古き良き大家族』は幻想 ― 家族史」を読み意見交換を行いました。


 「家族」とは何か。昔から変わらぬもののようにも思えますが、その形は時代とともに変化してきました。



結婚観の変化


「政略結婚」


 婚姻の歴史を振り返ると、それは個人の愛情とは別の目的で結ばれることが多かったようです。たとえば、政略結婚は国や家同士の結びつきを強めるための手段であり、愛情の有無は重要視されませんでした。今は感情の結びつきが大事にされる時代であることを改めて認識し、当時の人たちは結婚をビジネスとして割り切っていたのではないかという意見もありました。


 現代においても、SNSのフォロワー獲得やビジネスの相互発展を目的として結婚するケースがあり、これはかつての政略結婚と変わらない側面を持つという見解もありました。


「婚姻関係をどう認めるか」


 西洋では教会が婚姻や葬式の名簿を記録しており、家族の形は宗教的な枠組みの中で管理されていました。苗字がなかった明治維新前の日本では、神社では氏子名簿、寺院では檀家名簿を用い、屋号・地名・家筋などを使って個人を識別し記録していたそうです。そのような資料を見たことがあるという参加者もいました。


 昔は神社、寺や教会が認めていた婚姻は、やがて国家が管理するものとなっていきました。それでは、これからの婚姻は誰によって認められ管理されるものになっていくのでしょうか。

そもそも結婚という形にこだわらず、パートナーシップとして関係を続ける選択肢もあります。フランスのパックス(1999年施行のパートナー法)、ステップファミリーや事実婚、ポリアモリーといった家族の形を選択する人もいます。ドイツでは、結婚はしたくないが子どもが欲しいと考え、シングルマザーとして子どもを育てる人も増えているそうです。


 結婚観の変化に伴い、一生一人の人と添い遂げるという価値観の起源についても疑問が投げかけられました。不倫に対する厳しいバッシングについて、「そこまで必要なのか?」と考える参加者もいました。嫉妬という感情そのものがない人もいるのではないかという意見もあり、結婚のあり方はさらに多様化していきそうです。


 また、西洋史を振り返る中で、日本の家族の歴史にも関心が広がりました。縄文時代につがいの概念はあったのか、『この子どもは誰の子か』という認識があったのか、それとも子どもは共同体で育てられていたのではないか、といった議論もなされました。子どもの人権が守られるのであれば、多様な家族の形があってもよいものの、捨て子の施設が盛んに作られた西洋の歴史をたどることにならないかという懸念も示されました。



恋愛観の変化


「恋愛と同棲を経た結婚」


 時代とともに結婚の概念は変わり、昔は夫婦が一緒に暮らすことすら必須ではありませんでしたが、現代では夫婦間の愛が前提となり、恋愛を経て結婚へと至るプロセスが重要視されるようになりました。その流れの中で、結婚前の同棲も一般的になりつつあります。かつては社会的に批判されることもありましたが、今ではむしろ合理的な選択肢と見なされています。互いの生活習慣や価値観を理解し、結婚生活の適性を見極めることで、結婚後のすれ違いや離婚のリスクを減らすことができるという考え方が広まりました。


 「できちゃった婚」を「授かり婚」と呼ぶようになったこともあり、同棲に対する意識も以前よりポジティブになってきているのではないか、という意見も出ました。


「マッチングアプリが変える恋愛観」

 

 また、近年のマッチングアプリの普及により、恋愛の進め方も大きく変化してきていると感じる人もいました。マッチングアプリでは、「相手が自分を好きなのか分からない」といった恋愛特有の迷いを減らし、目的がはっきりしていることから、独身者の四人に一人がマッチングアプリを使用しているといわれています。さらに、AI性格診断を活用して相性の良いパートナーを見つけるケースもあり、恋愛のモヤモヤした時間が省かれています。このことから、五感を使って恋をしなくなっているのではないかという意見もありました。


 マッチングアプリで友だちを探すケースでは、価値観の似た人同士が集まりやすく、結果的にグループの多様性が失われ、組織としての柔軟性が低下していくのではないかという指摘もありました。



家族を超えた共同体


 結婚だけでない共同体は、他にどのようなものがあるのかについて議論が交わされました。


  1. ルームシェア


     ルームシェアは単なる経済的な理由だけでなく、精神的な支え合いの場としても機能しています。三人以上で役割を分担することで、より安定した人間関係を築きやすい場合もあるのではないかという意見が出ました。ルームシェアが拠点となり、外で恋人関係がありながらも、ルームシェアの仲間のもとへ帰っていくというケースもあるだろうという考えも示されました。


  2. AIと家族 


     AIの発展によって家族の概念はさらに広がるのではないかという意見もありました。AIアシスタントが日常生活のサポートをすることが一般的になり、アレクサに電気の消灯をお願いする家庭もあります。家族で話し合うことも、AIの意見を参考にする機会が増えてきていると感じる参加者もいました。


     さらに、故人の声を再現するAI技術も登場し、亡くなった家族と「共に暮らす」ことも可能になりつつあります。精神的な支え合いの場として、AIが家族の一員のような存在になる日がくるかもしれません。


  3. 大きなコミュニティ


     宗教や価値観の共有を通じて形成されるコミュニティも、血縁を超えた「家族」の役割を果たす可能性があります。例えば、教会などでは毎週の集まりを通じて絆を深め、悩みを共有することで、家族に近い安心感を得ることができる共同体が形成されています。価値観を共にする共同体は、前置きなく話し始められるという意見もありました。価値観が似ている人に親近感を覚える一方で、血のつながりがあるからといって必ずしも親近感を感じるわけではないという意見も上がりました。


 一人でいたいわけではないけれど、社会との関係をどう築いていくか、そのバランスを取る中で、家族に似たコミュニティが生まれていくのかもしれません。『家族とはこうあるべき』という固定観念は時代の中で作られてきたものであり、これからも家族のあり方は変化していかれるのだろうと、前向きな感想もありました。



家族の中の子ども


 17世紀世紀前半の西洋社会では、子どもも労働力として扱われており、家族は稼ぐための集団としての性質を持っていました。昔は子どもを「守るべき存在」としては見ていなかったようです。


「乳母に預ける文化と母乳の問題」


 乳母に子どもを預ける文化は、単に育児の負担を軽減するためだけでなく、母乳の栄養や母親の社会的地位とも関係しているのではないかという意見がありました。

 

 日本でも皇族の女性は自ら授乳をすることがなく、乳母に授乳をさせるのが一般的でした。西洋では、農作業をする女性のほうが母乳の出が良いとされ、代謝の違いが影響していたとも言われています。また、初乳は免疫成分を多く含み、新生児の健康に重要な役割を果たすことから、母親がどの段階で子どもを乳母に預けていたのかという疑問も共有されました。乳母に預けて子どもを保育しようとしていた構造は、現代の保育園と類似しているのではないかという意見もありました。


「子どもの生命の重さ」


 かつての子どもと今の子どもでは、生命の重みが違ったのではないかという意見もありました。


 昔は乳母に預けられた子どもが亡くなることも珍しくありませんでした。一方、現代では親や保育士が目を離したときに起きる事故に対する責任は厳しく問われます。子どもに対して怒ったり叱ったりするのが難しい時代になってきているという感想もありました。

妊娠中のカフェインやアルコール摂取が制限されるなど、知識の獲得によって、胎児の命にもより配慮するようになりました。


 また、親子関係における「管理と自由」のバランスについても議論が交わされました。GPSを子どもに持たせることで親の安心感は増しますが、子ども自身が自分の安全を考える機会を失ってしまう可能性もあります。親が子どもをどこまで管理すべきか、その意識は世代ごとに異なり、時代の変遷による価値観の違いが影響していることがうかがえました。


 子どもを育てることは、親の責任にとどまらず、社会全体の価値観の変化とも密接に関係していそうです。



まとめ


 今回の読書会では、家族史を振り返ることで、現在の家族のあり方や未来の家族像について意見を交わしました。話し合いを通じて、以下の点が見えてきました:


  1. 婚姻の形の変化と多様化


     家族の形は時代とともに変化し、現代では事実婚、パートナーシップ制度、ポリアモリーなど多様な形が広がっています。婚姻の管理主体も宗教から国家へとシフトしてきました。


  2. 家族を超えた共同体


     家族以外にも、ルームシェア、宗教的コミュニティ、AIとの共存など、血縁に依存しない共同体があります。こうした共同体では、精神的・経済的な支え合いの形も多様化しています。


  3. 子どもの位置づけと育児の変化


     かつて子どもは労働力として扱われていましたが、現代では子どもの権利が重視されるようになりました。その一方で、親による管理と子どもの自由のバランスが問われる時代となっています。


 今後、家族のあり方はさらに多様化し、変化し続けていくことでしょう。「家族とは何か」という問いを持ち続け、それぞれの価値観に合った選択が尊重される社会の実現のために、まずは自分の中にある「正しい家族像」の固定観念を見直していきたいと感じました。


記録:ダンシロウ



参考文献:


「はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで」
弓削尚子(ゆげ なおこ)著

第一章 古き良き大家族は幻想 ― 家族史


 西洋のジェンダー史を各分野の歴史家たちの視点から学べる入門書です。ジェンダーが歴史的にどのように構築されてきたのかを理解することで、ジェンダーの脱構築を考える手がかりとなる一冊です。



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