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第三回「ポスト近代家族とジェンダーについて」

更新日:5月19日




2024年10月27日 日曜日

参加者:3名


ジェンダーロールを乗り越えようの会 第三回

「ポスト近代家族とジェンダーについて」



性別を捉え直すための言葉「セックス」と「ジェンダー」


性別について考える時、「セックス」と「ジェンダー」の違いがよく話題になります。セックスは生物学的な性差、ジェンダーは社会的・文化的な性差と簡単に説明できますが、これは本当にそんなに単純な話でしょうか?


ジョン・マネーは、ジェンダーが教育や社会の影響によって形作られると考えました。しかし、ジュディス・バトラーは、セックスそのものも社会的な影響で「男」や「女」として認識されることから、実はセックスもジェンダーの一部だと主張しています。この視点からすると、私たちは生物学的な性別も、社会の枠組みや言葉を通じて認識している可能性があるのです。セックスとジェンダーという言葉の差異をどう捉えるかは人によって様々です。この言葉をどう捉えていくのかに目を向けたとき、性別を捉え直すための新たな視点が得られるのかもしれません。


性別を語る時、言葉によって男と女という二つのカテゴリーに分けようとするのは、人間の「整理したい」欲求なのかもしれません。しかし、ホルモンレベルや身体の特徴は個人差が大きく、測定する日によっても変わるほどです。男と女の二分法では捉えきれないことが多い中、どのように性別を捉えていけばいいのでしょうか。





言葉以外で捉える感覚と視点


性別を考える上で、私たちはどうしても言葉に頼って分類したり整理しようとします。しかし、言葉には目的意識が含まれがちです。目的を持たず、ただ「感じる」ことはできないのでしょうか。たとえば、花火の緑と木々の緑を同じ「緑」として分類してしまうことは、色そのものの違いを見逃しているのではないでしょうか。ジュディス・バトラーのいう言語の「パフォーマティビティ」によって性別が形成されていくように、男らしさや女らしさを表現する言葉の枠に人を縛ってしまうことは、その人自身が持つ豊かな多様性を見過ごしてしまうかもしれません。LGBTQIAと、言葉では分類しきれない文字と文字の間の性も、虹色のグラデーションによって視覚的に表現されています。カテゴリーされないその間を、言葉では表現できない視覚で捉えようとすることは、ジュディス・バトラーのいう言語のパフォーマティビティ(遂行性)だけでなく、言葉以外の視覚的なビジュアルや身体表現において性別を捉えていくことも可能だということを示唆しているのではないでしょうか。




ポスト近代社会と家族の崩壊


家族の形は時代とともに変化してきました。産業化が進む近代社会では、人々は集団や組織の中で「管理」される存在とされ、家も一つの管理単位として機能していました。たとえば、日本では戦後の経済発展に伴い、会社を「家」のように捉える考え方が広がり、集団行動を重んじるサラリーマン文化が形成されました。家庭も会社の一部と見なされ、家族は組織の延長線上に置かれていたのです。


しかし、こうした家族や世帯の在り方は、現在では大きく変化しています。伝統的に、男性が一家の大黒柱として働き、女性が家庭を管理するという社会構造が一般的でした。この背景には、夫が妻を扶養することで受けられる税制上の優遇措置や、専業主婦を優遇する仕組みが関わっており、女性が103万円以上稼ぐと不利になるように設計された制度などによって家族の形が形成されてきました。しかし、経済状況の変化や男女の役割に対する意識の変革により、共働き世帯が増加し、男性が一家の大黒柱として働くという従来の形は機能しなくなりつつあります。


韓国では戸籍制度を廃止し、個人単位での管理を進める動きが見られます。個人単位での管理が進む社会では、日本で議論されている選択的夫婦別姓の問題も解決しやすくなるでしょう。結婚式が家族単位のつながりを象徴するものではなく、個人同士の合意や納得を重視する形に移行しつつあるのは、人々が個人単位で考えるようになってきたためと考えられます。さらに、今年から年金の受給額が世帯ごとではなく個人で算出されるようになったことも、こうした流れの一環といえるでしょう。



「感じやすい体」とは?


日常生活で、私たちはつい目的や意味に縛られがちです。しかし、目的意識を手放して、ただ「ぼーっと」眺めたり感じたりすることができれば、言葉では捉えきれないものが見えてくるのかもしれません。自分の内側を見つめる際、「点検」するという言葉もありますが、必ずしも意識的に内省するだけが答えではないかもしれません。ただ、そこにあるものを感じ、体験する「感じやすい体」が重要なのではないでしょうか。


踊りの中で、動きの中に不意に「男らしさ」や「女らしさ」を知覚することがあります。しかし、踊りが「男性的」「女性的」といった固定観念から解放されることで、より純粋に体を動かすことができるのかもしれません。性別に期待を持たず、ただ体そのものを感じ、期待や役割から自由になることで、私たちは人間という枠組みをも超え、ただ「体」として動くことが可能になるのではないでしょうか。


ポスト近代の家族やジェンダーのあり方について考える中で、時には言葉を超えて、ただ体で感じることが必要だと感じました。これからの勉強会でも、こうした視点を大事にして話を深めていけると良いかもしれません。




今後の課題


多様な性や家族観が求められる現代において、私たちは言葉や制度がもたらす枠組みについて再考する必要があります。家族や性別のあり方を言葉だけでなく、多角的に見つめ直すことが重要です。 



1. セックスとジェンダーの言語理解と使い分け

   生物学的な性(セックス)と社会的・文化的な役割(ジェンダー)に対する一般概念の理解と、その使い分けを学ぶことが必要です。言葉が持つ力と限界を知り、セックスとジェンダーを意識的に区別して捉えることは、相互理解を深める上でも、新たな解釈を提示する上でも重要です。


2. 言語以外のパフォーマティビティによるセックスの定義づけ  

   言語だけでなく、身体表現やビジュアル表現など、非言語的なパフォーマティビティによる性の理解も試みることが課題です。これにより、言葉だけに縛られない多様なアイデンティティの捉え方が可能になるでしょう。


3. 社会の制度による家族形成のあり方の関係性の理解  

   社会制度が家族の在り方にどう影響するのかを理解することも重要です。制度によって家族形態がどのように規定され、個々人の生き方や価値観にどのような影響を与えるかを学ぶことで、多様な家族観や制度改革についての考察を深めることが期待されます。


これらの課題に取り組むことで、ポスト近代の家族やジェンダーのあり方についても新たな視点を提供できると考えています。



まとめ:ダンシロウ





参考文献:


「ジェンダー論をつかむ」
千田有紀(せんだ ゆき)・中西祐子(なかにし ゆうこ)・青山薫(あおやま かおる)著

第1章 性別をとらえなおす

第2章 家族とジェンダー


三名の著書によって執筆されたジェンダー論の基本的な枠組みを紹介する入門書です。本書は、ジェンダー秩序に関する理解を深める手掛かりとなるでしょう。「です・ます」調で書かれた親しみやすい一冊。



 
 
 

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