
2024年1月19日 日曜日
参加者:5名
ジェンダーロールを乗り越えようの会 第六回
「身体とフェミニズム、ポルノについて」
女性の身体と中絶
アフターピルに関するアクセスの問題が話題になりました。日本では、アフターピルは強姦された際の処置という認識が強い一方、海外では夫婦間のセックスでも、避妊のために手軽に使用されているケースがあるようです。外国人カップルに「アフターピルはどこで買えるの?」と質問された参加者もいました。現在の日本ではアフターピルは医者の処方が必要で、セックスから72時間以内に服用しなければならないため、必要な人が入手できずに中絶に至るケースもあります。
中絶については、母体保護法で22周未満であることが定められています。これは、胎児が母体から切り離されても生存できる時期を基準としています。しかし、いつから生命が人権を持つのかについては、宗教や文化的背景によって異なり、統一的な答えを出すのは難しいです。「着床」「排卵」さらには「卵子」や「精子」の段階から生命を感じるという意見もありました。例えば、「受精しない精子は死んでしまう」という表現があるように、卵子や精子も個性を持った生命だと思う人もおり、これらの生命の段階についてお互いの意見に耳を傾けました。
最近、旧優生保護法の被害者に対する補償制度が施行され、不妊手術や中絶を強制された被害者とその配偶者に補償金が支給されることになりました。国が刑法で中絶を強制していた時代について改めて考え、現在の母体保護法が、女性が自身の身体に関する選択を自由に行える刑法になっているのか、アフターピルや配偶者との関わりと合わせて議論しました。
露出する身体の性別差
露出度に関する感覚は、国や地域によって異なります。同じ服装であっても「出し過ぎ」と感じるかどうかは、その人の生まれ育った環境や現在の生活環境に左右されます。参加者の中には、「隠しているから見たくなってしまうのではないか」という意見や、「視覚的に胸元に目がいくデザインだと理解して服を選んでいるのか」、「男の理屈に合わせて選んでいるようで息苦しい」などという感覚を持つ人もいました。一方で、服装に無頓着な配偶者の服を選ぶ人もおり、服の露出具合や服を選ぶ理由には多様な背景があるようです。
また、女性の方が服装の自由度が高いという意見もありました。例えば、女性がパンツスタイルを選ぶことが可能な一方で、男性が涼しさを求めてスカートを選ぶのは現実的には難しいのではないかという指摘もありました。スクールユニフォームでユニセックスが進んでいる中でも、この服に対する固定観念を乗り越えるのは難しそうです。このように、男女ともに異なる形ではありますが、ジェンダーによる服装選びの不自由をうかがえます。
露出に関する意識は時代によっても変化しています。例えば、日本ではかつて電車の中で母親が乳房を出して授乳している光景が見られました。この風景が消えた理由については、以下の意見が出されました:
核家族化した家庭内において授乳を隠すことが難しく、露出が自然と受け入れられていたのではないか。
和装から洋装へと変わったことで授乳時の露出が増えたのではないか。
女性の乳房が、「母としての機能」として社会的に公然と扱われていたのではないか。
現代では、母親が義理の両親の前ではケープで隠したり、実家では自室で授乳する人が多いようです。社会的な価値観は国や地域だけでなく時代によっても変化していくのだと感じました。
単純化が隠す当事者の声
「ストレート」という性指向の中にも、実際には様々な違いがあります。しかし、議論を簡潔に進めるために、「ストレート」と一括りにして話されることが少なくありません。もし言葉を省略せずに説明しようとすると、話がまとまらず、相手に「結局何が言いたいの?」と聞かれてしまうこともあるためです。
このように複雑な事象を単純化して伝えることで、本質が隠されてしまう場合があります。この問題は女性運動の歴史にも見られます。例えば、女性の主張をわかりやすく伝えるために、性指向の多様性を排除してしまった結果、レズビアンが運動の中で疎外されるケースがありました。多様な背景を持つ人々が参加する運動において、単純化は理解を助ける一方で、多様性を犠牲にしてしまうリスクがあることが議論されました。
また、テレビ番組の視聴率を上げるために、内容を白黒はっきりと単純化してまとめた「見やすい」番組が制作されることがあります。しかし、このような単純化された表現が逆に本質を隠してしまうのではないかという意見も出ました。
結論をすぐに知りたい人もいれば、複雑なプロセスそのものを共有したい人もいます。参加者の中では、「男性は結論が見えないと不安を感じやすく、女性は結論を急がず決めつけないで受け入れる傾向があるのではないか」という意見もありました。
さらに、歴史を振り返ると、女性の権利を訴える主張でさえ、当の女性が発言する機会を奪われていたことがありました。例えば、自由民権運動の中では、女性が権利について演説することが認められず、男性がその内容を代読するという状況がありました。このように、当事者自身が直接発言できない環境が、熱意や情熱を伝えにくくしていたのです。
こうした「男性中心」の風潮は、現代でも一部に残っています。例えば、結婚式では新郎がスピーチを代表して行うのが慣例となっていることがその一例です。このように、男性が「発言者」として立つ場面は少なからず存在していることが共有されました。
ポルノと性表現
「エロチカとポルノの違い」
最後に、ポルノにおける性表現について議論が行われました。特に暴力的な性表現の背景について、「それは男性の支配欲や所有欲を満たすためのものではないか」という意見が挙げられました。また、ポルノの性表現は男性の欲望を主体としたものが多い傾向があり、「性欲は女性にもあるのに、女性の欲望を反映した表現が少ない」という指摘もありました。一方で、「男女の性欲には違いがあるのではないか」といった視点も提示されました。
また、ポルノ撮影において暴力的なシーンが含まれる場合、出演する俳優の人権が守られているかどうかが問われます。一方で、映画やメディアでは、女性の乳首が文脈に関係なく禁止されていますが、男女の身体に対する性表現の規制にも不均衡があるようです。性表現の規制については、どの基準でエロチカ(文学的・芸術的な性的表現)とポルノを区別するのか、自分の価値観や感覚を開示しない限り議論が進みにくいという意見も出されました。その結果、「表面的に禁止する」という方法で対処されがちであり、文脈を無視した規制がかけられてしまうのではないかと感じました。
「子育てとポルノ」
ポルノ視聴に関して、子育ての観点でも議論が展開されました。参加者の中には、「単純にポルノを禁止するのではなく、『ポルノはファンタジーである』と教えるべき」という意見がありました。実際に、AV監督や俳優が撮影の裏側を明かす活動も行われており、これを通じてファンタジーと現実を混同しないよう教育する取り組みが一部で進められているとのことです。
しかし、AI技術の進化によって、新たな問題も浮上しています。AIを使えば、子どもでさえ簡単に好きな人の顔をポルノ動画に当てはめる編集が可能となっており、そうしたコンテンツがSNSを通じて流通することで、被害者の人権が侵害されるケースが指摘されています。これは過去にも、アイドルの顔を切り貼りして作られた偽造画像が出回った事例と共通しますが、現在では技術の進化によってその被害がより深刻化しています。このような状況において、「身体の所有者としての人権」が守られるためにはどのような対策が必要なのでしょうか。
今後の課題
今回の読書会では、女性の身体の問題から服装、性表現、さらに複雑な議論の伝え方について意見が交わされました。以下の点が話し合いを通じて見えてきました:
1. アフターピルの理解促進
身体的にも精神的にも負担の少ない形で女性が自らの身体に関する選択ができる社会とアフターピルへの理解促進が必要です。
2. 複雑なまま受け入れる文化の形成
多様な意見が一括りにされてしまうことで聞こえなくなる声を拾い上げるためには、複雑なことを複雑なまま受け入れる態度が必要です。
3. 性表現における人権の確保
AIを使った性表現による人権被害の抑制と撮影現場の人権の確保が求められます。現実とファンタジーの違いを教え、性的同意の重要性について教える性教育が重要です。
今回議事録をまとめる上で、複雑な問題を複雑なまま言葉で捉える難しさを感じました。次回の読書会では、単純化してしまいがちな専門用語を控え、それぞれの言葉を使って共有できる場を持つことを続けていきたいと思います。
まとめ:ダンシロウ
参考文献:
「ジェンダー論をつかむ」
千田有紀(せんだ ゆき)・中西祐子(なかにし ゆうこ)・青山薫(あおやま かおる)著
第7章 身体とジェンダー
第8章 フェミニズムとジェンダー
三名の著書によって執筆されたジェンダー論の基本的な枠組みを紹介する入門書です。本書は、ジェンダー秩序に関する理解を深める手掛かりとなるでしょう。「です・ます」調で書かれた親しみやすい一冊。